無意味さと共生している
生きる意味がなくなってからだいぶ経つ。
正確にはなかったことに気づいてから、だ。
人間が生きる上でやることに関して大別すると二種類あると思っている。
「種の保存に貢献すること」
「文化・文明の発展に貢献すること」
どちらも行う人もいれば、片方を担う人もいる。
前者は後者に比べると、その能力を有する人が多い。
後者には、ある種の才覚が求められる。
自分には才覚はなかった。
だから属性としては前者に含まれるはずだった。
しかし、二度と人に生まれたくないと思ってしまった。
ここでは省略するが、人生は苦しいので、
そんなものを過ごさせるために新たに人員を供給するなどという鬼畜の作業は、自分にはできない。
ここで、やることがなくなった。
労働は、基本的な上二つのやることを支えるためのものと感じているので、目的のない労働は結局空虚だ。
私は目的なくただ生きるために生きている。
それでいいじゃないという人もいるだろうけれども、私にはそれはいいじゃないにならないのだ。
私には何もない。
何もないまま、いつまで人間をするのか。
労働は空虚のくせに私を拘束している。
全部を手放す前に、労働を手放さなければならない。
踏ん切りがつかないまま、今日も生きるをしている。
無意味を繰り返している。
死んでいてもおかしくないくらい無意味な毎日。
共生と呼ぶと笑えてくる気もする。