mo_ch’s blog

消えたくなりながらも毎日を踏んで乗り越えるためにゲロを吐くブログ

責任を負いたくなさ

ブログの存在を忘れてた(良かったといえばよかった…?)


ネサフしてたら「〜才になっても責任を負う仕事をしてない友達が云々」みたいな愚痴を見てしまって、ム…と思ったので書く


人類70億人もいるのにその全員が責任ある立場につけるわけない

社会構造というものは基本ピラミッドでだれかが上に立っているわけである、船頭多くして船山に登っちゃうので意思決定は誰かに委ねるわけである。

そんな中全て人類がその決定者として選ばれるか?持ち回り制か?といったらそれはNO、たまたま巡り合わせでというか多分数えてみればリーダーになんかならん人の方が多いはずなのだ。


それを悪い、レベルが低いと謗る人の方が同じ言い方したくないがレベルは低いと思う。

何レベルだ…多分人徳レベル的なものが。


わたしが、人の、意見を見るだけでこんな風に怒るのだ、他の人だって怒るだろうから自分はそういうことを言う人間にならないようにしたい。




だって自分が一番責任を負いたくないし。


わたくしの、ダリフラ観

眠れないのでしばしば思うことについて書く。

タイトル通り、アニメのお話である。


ダーリンインザフランキスというアニメがあった。あらすじはまあホームページに乗ってると思うので省くけれど、SFで、古典的ストーリーとオシャレにデザインされた画面で全体通してそこそこ。


だったのだが、とかくラスボスである「VIRM」なるエネミーの思想が我が身には余りにも甘美すぎて振り払えない禍根を残していった。


彼らは地球外生命体(思念体のようなもの)で、

曰く、彼らの主張は「生命は身体や個を投げだし凪のような快楽

に身を任すべし」というようなことだった。

来歴など明確には作中で描かれていなかったと思うが、おそらく生命のある星を侵略し、そこで住人の身体と個をなくさせ、残された意識をまどろむ集合思念体の中に統合…ということを繰り返していたのだと思う。(奪った何かをリソースとして使用していたのかもしれないがそこも描かれていない)


私は、日頃より無になりたいという願望が強いため、こやつらが現れて自らの思想を話してからは、もうボーイミーツガールや痛みと前進を伴うドラマなども耳半分、なぜこんなに彼らはVIRMに抗うのだろう、なぜ悪とされるのだろう、素敵なご提案、飲むしかないではないか、いやまあ主役たちは自らの足で立って生きることを選ぶのがセオリーだけども、などと考えざるを得なかったのである。


この類のエネミーはおそらくポピュラーで、

ダリフラの発明ではないだろう。


しかしながら、「言いたいこと全部言ってくれてるやつ」として、印象深かったのである。


VIRMは討ち払われたが、また現れるぞとの言葉を残していった。本当にそれが羨ましい。

進化の果てに、人間も何もせず、ただ夢を見るだけのものに成り果てればよいのにと思う。






やすみたい

かききゅうかを取りたい

落ち着きたい

メール見たくない

落ち着きたい

休みの日に仕事のことを思い出したくない

金さえあれば 金さえあれば 金さえあれば


むしろやすみたいと思わなくなりたい

一週間やすみなくても平気な心と体になり仕事が順風満帆でしかなくなれば、

それでもいい

疲労を感じなくなりたい

ある日ポッキリと折れたように倒れて

そのまま死んでしまいたい

緑色の風が吹いて


金さえあれば 金さえあれば 金さえあれば

ブログを書かなくていい間はたのしい

基本的にゲロを吐きながらも歩いて行くためのブログなので、書かなくていいってことは吐かなくていいってことで比較的ハッピーなのだけれども、まあ比較ではなくアンハッピーな気分はわけもなく訪れるものです。


わけもなくと言いつつトリガーはあるのですね。

今日は自己顕示欲を満たしたいが満たされない気持ちがつのったことでした。

賞賛されたい、されたいがされるだけの理由がない。

いま満たされたい気持ちを、長い間取っておいて、その間人に見せられるものを着々と用意していくとか、そういうこともできず、

いま苦しいのは今の問題だという風に持ってしまっている。

いま、満たされたいのだと。


それにしても自己顕示欲というのはそもそものところなんのためにあるんだろうなあと思います。

食欲がとりあえず満たされてれば、生命の危機もないのだしいいんじゃね?と思うのに、なぜ他の個体からの関心を引きたくなってしまうんだろう。


疑問を持ったところでこのブログでは特にそれに対する持論などは用意しておりません。

ただただいらないなあいらないなあなくならないかなあと思っていることを吐露するだけです。


だって、文明が天敵から人間を遠ざけて何年経ってると思っているんだ…

集団の中で関心を持たれなければ、死んでしまうなんてことはふつうにないはずなのに。


おそらくもう自己顕示欲から脱した人類とか、もともとなくてもいい人類とか、いると思うのですね。

私も早くそちら側に行きたい。人から関心を持たれないことに苦しむ時間は終わりにしたいのです。

そちらにいけばきっと静かで楽な世界が広がっているのだろうから。

誕生日にまつわるマイナスな思考がある方の人

誕生日だった。

毎年誕生日が来ると、

二つの気持ちで板挟みになる。


一つ、他人から祝われたいという気持ち。

一つ、生まれてきたのは忌むべきことであるので実際誕生日、めでたくないやという気持ち。


どちらが勝っているとかではなく、いや強いていうなら周りに話すので祝われたいが優っているようにも見えるのだが、

一時期は人に言うことにも相当な勇気を要していた。

自分が良かったと思ってないことを、人に祝わせるのか…と思って、言い出せなかった。


今はそのもの自体の善悪はさておき人から構ってもらえるのは嬉しいという結論になったので、まあまあ積極的に言うようにしているが、

反面どうもスミマセン…生まれてきてスミマセン…感も持ってるので申し訳なくもある。


どっちつかずである。


祝ってくれる人にも失礼だし「素直に喜」べればいいのになと思うけど、難しい。

せっかくの機会がもったいない。


どっちつかずなのがなお悪い。

本当に絶望していなくなるか、

観念してハッピーに生きるかできればよいものだけど…。


とりあえず今年も構ってくれた優しい人たちありがとう。

脳が苦しい

なんだかわからないけど脳が苦しいという感覚だけはある。


あの下痢してる時の、痛みとは違う強烈な便意などと似たような感じで脳が苦しい。


頭に対して脳がぎゅうぎゅう詰になってしまい、行き場所がないかんじで、

天井がなくなって、ガス抜きができればいいのにと思う。


こんな状態は寝るに限るのだけど眠れないし、困窮している…。

ぎゅうぎゅう詰の脳は、頭蓋骨の中に入っているのでせいいっぱいなので、考え事は妨げられる。

複雑な思考ができない。難しい話聞いても右から左に流れる。

これのせいで今日もミスした。

つらい。つらすぎる。

能力が足りないのもあるけど、自分の頭は「正常な状態じゃない」とわかっていて、行使できないのがつらい。

昨日まで動いていた足が、片方突然動かなくなったのに近いような感覚。

これが続くのならやっぱり人生は地獄でしかない。

笑顔でいろと言われたがいられない。痛みがあるのに笑っていられるのか?誰に向かってものを言ってくれたんだ。こんなに、こんなに苦しいのに…


誰か助けてほしい…


私はりあまりにも私であるために私が私でないことを人に望まれると瞬間ひしゃげてしまうように感じる。


「自分にとって都合のよくない存在」「思い通りにならない存在」を「素直じゃない」と形容するのはやめてください。


私にとっての素直が貴方の信奉する常識と同じ方を向いていないだけなんです。