昼下がりの暗鬱
思春期が終わることはなかった。
別段思春期という言い方をしなくても、
懐疑、否定が持って生まれた私の本質だったのだ。
日々、繰り返される、揺れる電車、雑踏、灰色の街並みに、孤独して浮かぶ自己。
自ら命を絶った者を言祝ぐ感性。よくやったね。君は勇気があったのだ。私もきっとそちらへ行きたいと。
正しくない。
私も、多くの人がおそらくそうであるように、
生きていることを心から祝福できたらよかった。
口に入れるものが今命を繋ぐこと、誇らしく嬉しく思えていればよかった。あるいは、それすら考えずに、当たり前に暮らすことができていればよかった。
それができないまま、コマ送りの人生を坦々と繰り返す。
花のない、芯もない、空虚を繰り返す。
私には何もない。