mo_ch’s blog

消えたくなりながらも毎日を踏んで乗り越えるためにゲロを吐くブログ

会社 行きたくないのうた

会社行きたくない♪

会社行きたくない♪


私は言われたことをやってるだけなのに♪

敵意を向けられなければならない♪♪

いままでの異常なぬるま湯状態を改善すべく動いたのに♪

理不尽かのような言い方をされている♪


会社行きたくない♪

会社行きたくない♪


人生嫌なこともあるとかそういうこっちゃない♪

嫌なことなんかない方が良くて嫌なやつなんていない方がいい♪

みんなお互いにお互いの嫌なやつにならないように考えて動けば嫌な思いをすることは減るはずなのに♪


直情的に動いてはいけない(戒め)♪


会社行きたくない♪

会社行きたくない♪

無意味さと共生している

生きる意味がなくなってからだいぶ経つ。

正確にはなかったことに気づいてから、だ。


人間が生きる上でやることに関して大別すると二種類あると思っている。


「種の保存に貢献すること」

「文化・文明の発展に貢献すること」


どちらも行う人もいれば、片方を担う人もいる。

前者は後者に比べると、その能力を有する人が多い。

後者には、ある種の才覚が求められる。


自分には才覚はなかった。

だから属性としては前者に含まれるはずだった。

しかし、二度と人に生まれたくないと思ってしまった。

ここでは省略するが、人生は苦しいので、

そんなものを過ごさせるために新たに人員を供給するなどという鬼畜の作業は、自分にはできない。


ここで、やることがなくなった。

労働は、基本的な上二つのやることを支えるためのものと感じているので、目的のない労働は結局空虚だ。

私は目的なくただ生きるために生きている。

それでいいじゃないという人もいるだろうけれども、私にはそれはいいじゃないにならないのだ。


私には何もない。

何もないまま、いつまで人間をするのか。


労働は空虚のくせに私を拘束している。


全部を手放す前に、労働を手放さなければならない。

踏ん切りがつかないまま、今日も生きるをしている。

無意味を繰り返している。

死んでいてもおかしくないくらい無意味な毎日。

共生と呼ぶと笑えてくる気もする。


昼下がりの暗鬱

思春期が終わることはなかった。


別段思春期という言い方をしなくても、

懐疑、否定が持って生まれた私の本質だったのだ。


日々、繰り返される、揺れる電車、雑踏、灰色の街並みに、孤独して浮かぶ自己。


自ら命を絶った者を言祝ぐ感性。よくやったね。君は勇気があったのだ。私もきっとそちらへ行きたいと。


正しくない。


私も、多くの人がおそらくそうであるように、

生きていることを心から祝福できたらよかった。

口に入れるものが今命を繋ぐこと、誇らしく嬉しく思えていればよかった。あるいは、それすら考えずに、当たり前に暮らすことができていればよかった。


それができないまま、コマ送りの人生を坦々と繰り返す。

花のない、芯もない、空虚を繰り返す。


私には何もない。


友人に陰鬱な気が晴れないと言ったらはてなブログでも書けと言われたので登録してみた次第


続けることは目的としていないのでこれきりかもしれない


現状 マイナス感情に支配される時間が反復・長すぎたためか、幸福と認識できる事柄が起こってもその幸福を感じている最中に頭の隅あるいは中央で「でも今まさに感じているこの快い状態はいずれ終わるんだろう」という意識が生まれるようになった

一瞬ぱっと世界が開けたと思いきや、瞬間的にそう思い出してしまうのだ

つまり条件付きの幸福しか味わえなくなっている


適当に調べると予期不安という言葉が近いように思う

パニック障害などではないと思うが


諦め続けることをやめないメタ自分を更にメタ的な視点で見て滑稽がることで、陰鬱さを緩和しようと試みてもみたが、湧き上がるような芯からの楽しみは得られなかった


このまま一生条件付きの喜びしか得られないのだろうかと思うと残念でならない

この場で意識が永遠に消えればと思うが、まだあまりにも肉体の死は遠い

どこかに打破の糸口はないものかと思いつつややもすると精神エネルギー切れを起こして動けなくなるのでクラゲのように心と頭を彷徨させている…